2008-01

チクチク族

夜な夜なチクチクしている。なにが楽しいのか、
うちのかみさんはソファに座り無心にチクチクしている。

羊毛を買ってきてニードル針でケバケバを押し込んで
動物の形に根気よくしていくのだそうだ。

時々自分の指を刺してしまって痛がっているのである。
なにが楽しいのかさっぱりわからない。理解不能。

まあよく見ると、この羊の表情は可愛いが。
でもちょっと太りすぎではあるまいか。
うちのワンコとまったく同じ体形である。

今度うちでかみさんがチクチクの教室をするそうである。
このへんのチクチク族が集合するだろうか。
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フードマイレージ

日本のファミリーレストランのメニューには、値段のほかに消費カロリー
が記載されているところが多いが、人間にとって一日に必要なエネルギー
以上にカロリーをとらないことが健康にはよいのかもしれない。

これはどうやら地球にも当てはまるようである。二酸化炭素が必要以上に
排出されると地球の健康は害され、熱(温暖化)が出てしまうのである。

これに対してヨーロッパの人たちは本気のようである。フードマイレージ
というキャンペーンを行い、地産地消をすすめている。地元で採れた作物
は輸送コストなど余分なエネルギーを使わないので環境にやさしい。

フードマイレージとは食料の重量と生産地から消費地までの輸送距離を掛
け合わせた数値が小さければ地球環境への影響が低いという概念である。

例えば、カリフォルニア産ワインを長野産ワインにするとCO2を300g
以上削減できる。アスパラガスなども昭和村産に替えると同様である。

ヨーロッパのスーパーマーケットではこの数値も商品の値段の下に記載さ
れ始めているそうだ。日本も自分の腹まわりだけを心配するのでなく、地球
の未来を心配すべき時にきているのかもしれない。ほんとめんどうだが。

ちなみに京都議定書を余裕でクリアのノルウェー政府はEUに温暖化対策
として、石油ストーブの使用禁止を提案したが却下されたようである。

大失態に逆切れ

大失態をやらかしてしまった。昨日、娘と二人で東京の原宿
で、ある学校主催のイヴェントに参加する予定だった。
娘も学校をそそくさと早退し二人して車で出かけたのだが。

途中ふと気になって主催者に電話をしてみたところ、
聴講券がないと入れないとのこと。唖然、呆然、愕然。

だいぶ前に私が応募して、てっきり行けば入れると思い込んでいた。
抽選で外れていたのである。当選は聴講券の発送をもってだという。

裏千家の家元の講演と在学生による陶芸の実演という内容であった。
たぶんその学校を希望するという人でなく、家元の講演を聴きたい
というおばさんが多かったのではないか。非常に残念である。

電話口でだいぶ粘ったが会場の都合もあり無理だというので
引き返してきた。娘は呆然として私の顔を見ながら笑うしか
なかった。友人にも担任の先生にもどんな顔をして学校へ...。

もう少し早く主催者に確認をしてみればよかった。
でもまさか400人の定員が抽選になるとは思わなかった。
娘も一日を棒に振ってしまった。後悔と反省の一日。

過去を振り返ってみると私は何年かに一度、とんでもないことや
取り返しのつかないことをしてしまう。そのとき必ず家族の反応
は怒りよりもあきらめ顔、いやあきれ顔である。

まあ、大失態がこんな内容でよかったのだが。もちろん娘もこの
学校を受験するつもりもなくなったようである。いったいこの学
校は何のためにイヴェントを開催したのかと逆切れしたくなる。

サボテンと日本人

食料自給率40%の国、日本。60%を外国から輸送費を
かけて輸入し、毎年2000万トンを廃棄処分している。
それは世界食糧計画が貧しい国に食糧支援した数字の約4倍。

一方で、一連の食品偽装で賞味期限切れの廃棄処分品は増える。
ならばTV番組での「大食い」を争う企画は廃棄処分にするより
まだましなのか。いったいどうすればよいのか。

主に砂漠地帯に住む多肉植物やサボテン。1ヶ月水をやり忘れても
へっちゃら。いや水をたくさんやるとかえって元気がなくなる。

きれいな花を咲かせる植物には見劣りするけれど、
わずかな水で生命をつなぐことができるサボテンたち。

中央アジアの砂漠地帯の遊牧民は食事の後、お皿を砂で洗う
そうである。太陽光線で殺菌され衛生上も問題ない。

同じ地球上の生物であるサボテンと日本人。きっと50年
後にはどちらが正しいか答えが出ているであろう。
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大きな喪失感

去年の10月頃、近くにあった書店が閉店した。
時間があるときにふらっと立ち寄る場所を失った。

もう一つ別の書店があるが、流れている音楽もうるさくて
目的なしにはとても立ちよる気がしない。

書物は今やネットで買う時代であろうが、私はアナログ人間なので
本屋さんでふらふらしながら選ぶことが大好きである。

いっそのこと、本屋でも開きたくなるくらいのわが町の現状。
いや、偏った本ばかりになるので全く採算が合わないだろう。

それよりも何よりも、私はインクのにおいで尿意をもよおし
すぐにトイレに行きたくなるので無理かもしれない。

たかが本屋さんの閉店。されど行き場を失った私にとって....。

タリアセン(理想郷)

夏の喧騒とはうって変わって静かな軽井沢の湖。
遠く白く見える浅間山は夏にもまして美しい。

駅南口ショッピングプラザで人ごみに紛れた後は、
人のいないボート乗り場で湖面の鴨を追うのもまた楽しい。

天候にも左右されるがこの「軽井沢タリアセン」の空間を
独り占めできるのはこの季節だけである。

タリアセンとは建築家フランク・ロイド・ライトが作った
理想郷のことで、自邸であり建築学校でもあった。
元々はウェールズの詩人の名のようである。

残念ながら私の住むまちには、これに似た美しい景色
があるが、それを暮らしや観光に活かせる知恵がない。
恥ずかしながらまだまだ文化度が低いのである。

おらがまちのF.L.ライトの出現を待望するが
とうてい無理な望みであろうか。






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三つめのJ

中軽井沢を後にし、旧軽井沢の万平ホテルで昼食でもと思ったが、
懐ぐあいを考え、旧軽銀座の浅野屋でパンを買った。

万平ホテルと浅野屋はジョン・レノン御用達だったようである。
軽井沢はジョンゆかりの地で、晩年の十年は毎年のように来ている。

実は、内村鑑三も晩年の十年は毎夏、中軽井沢の星野温泉に来ている。
彼も軽井沢に魅せられた一人である。

二人は生きた時代も違うし、人種も国籍も何も接点がないはずである。
ジョンが鑑三に影響を受けたとも思えないし、その逆はありえない。

しかし、とてもとても似たもの同士である。軽井沢が大好き。純粋である
がために妥協知らずなところ。国家をも敵に回しても貫く信念があるところ。
などなど共通する美学を持つ。そして何より日本を愛していたところである。

内村鑑三はこう言い残している。
「私は二つのJを愛する。第三のものはない。
一つはJesusであり、もう一つはJapanである。」

でももし彼が今日いるとしたらこう言うかもしれない
「私は三つのJを愛する。一つはJesusであり、二つめはJapanである。
 そして三つめはJohn・Lennonである。」
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石の教会

寂れかかった中軽井沢の街を過ぎ、小さな丘を登ると広場が現れる。
その片隅にある無機質なコンクリートの建物は中に入ると一変した。

陽の光、流れ落ちる水、そして緑。十字架はなくマリア像もなく、
もちろんイエスの像もない。わずかに聞こえる水の音。

石の教会の礼拝堂である。少しばかり長椅子があり、空を見つめて
座り、手を合わせ礼拝するのであろう。

内村鑑三はいわゆる教会を必要なしと考える「無教会主義」を唱えた
初めての日本人である。この建物は内村鑑三の意を受け、オーガニック
な建築を追及し続けるケンドリック・ケロッグ設計のもとに作られた。

長椅子に座ってみるとそれだけで、心落ち着き感動する。
なんとなく母親の胎内にいるような感じだった。もちろん私は
三島由紀夫のようにその時の事を覚えているわけではないが。

座っていると、一組のカップルが礼拝堂に入ってきた。近い将来ここで
結婚式を挙げるのだろうか。そうだとしたらほんと羨ましい。
するといったいここは教会なのだろうか、そうではないのだろうか。







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ささいなクロニクル

アンノドミニ クロニクル
1923年(大正12年) 群馬県沼田市上之町にて開業。スイス製の舶来時計を取り扱う。
1932年(昭和 7年)  昭和恐慌時、品物入荷せず「焼き饅頭」を売る。
1938年(昭和12年) 蓄音機の普及が進み、レコードを販売。
1945年(昭和20年) 戦中、戦後。店頭に品物がなく、修理にてしのぐ。
1955年(昭和30年) ようやく柱時計やメガネが売れる。
1960年(昭和35年) セイコーの腕時計が人気を博す。
1965年(昭和40年) 高度経済成長がはじまり、本町通りの歩道はすれちがうのもたいへんな人ごみ。
1970年(昭和45年) 眼鏡検眼システムでメガネづくり。 「いせや沼田店」(沼田市材木町)に出店。
1982年(昭和57年) ジュエリー&アクセサリー専門SHOPに。
1985年(昭和60年) 現在の「AnnoDomini 」に改名。   
1989年(平成元年)  有限会社 アンノドミニを設立。「ピアスshopAULIN」(前橋市千代田町)出店。
1992年(平成 4年)  平成の経済バブルはじける。 「VIVATOWN店」(沼田市東原新町)出店。
1995年(平成 6年)  沼田市西原新町の沼田パブリックホテルに移転。バッグや小物雑貨を取り扱う。
1998年(平成 9年)  服飾雑貨を取り扱いはじめる。
2003年(平成15年) 現在の住所の本店1店舗に集約し、さりげない日常の暮らし方を提案。
2008年(平成20年) 対話と交流を楽しめる文化型の専門店として生まれ変わります。
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